彼女が転んだシリーズ 〜孔花編〜



「・・・・なんだか嬉しそうですね、師匠。」

背中越しに耳元で聞こえた花の声に、孔明は内心どきっとした。

もちろん孔明はそれを表に出すような素直な性格ではないから、すぐに飄々とした言葉で切り返す。

「えー、どこが?転んで足を挫いたドジな弟子をわざわざおんぶしてあげてる師匠にその言いぐさはないんじゃない?」

「あう・・・・すみません。」

「ま、今回はあんなに山ほど書簡をためた士元も悪いから特別ね。」

わざわざそう付け足したのは、孔明の部屋に士元から頼まれた山積みの書簡を持ってきたせいで前が見えず入り口で豪快に転んだ花の自責を少しでも少なくしてやるためだ。

幸い書簡は無事だったが、どうも自分の失敗と落ち込んでいるふしがあるのが気になっていたから。

(・・・・ホントは書簡ぐらいどうにかなっても構わなかったんだけど。)

書簡は士元に言えばすぐにどうにかなるし、そんな重要なものもなかった。

それにそもそも、孔明にとって花より大事なものなど何もない。

だから書簡なんか全部ぶちまけてでも自分の身を守ってくれればよかったのに、律儀に書簡を抱きかかえて転んだために花は足を捻ってしまったわけだ。

「まったく、どうしてこうも心配かけるかなあ。」

「え?心配してくれたんですが?」

「当たり前でしょ。君はボクの弟子で・・・・恋人なんだから。」

一瞬間があいたのは、まだ残る戸惑いのせいだ。

けれど、幸いそれには気が付かなかったのか、花が背中で小さく笑った気配がする。

「ありがとうございます。」

「御礼言うより気をつけてよね。ついでにボクのいないところではこけないこと。」

「え、ええ!?」

そんなの無理ですよ!という抗議も取り合わず孔明は笑って言った。

「君が気をつければ済む話だよ。まあ、別に他の所で転んだって良いんだけど。でもその時、他の男にこんな風に運ばれてたら・・・・」

「き、気をつけます。」

「うん、良い子だね。」

冗談と本気を半々に混ぜて嫉妬を覗かせれば、花が慌てたように返事を返すのがおかしい。

背中に感じる確かな重さを確かめるように背負い直して、孔明は僅かに口角を上げた。

自分の背中に乗っているのは、花。

それはまるで・・・・。

「・・・・亮くんの時と逆になっちゃいましたね。」

「・・・・うん。」

ぽつり、とどこかおかしそうに花が呟いた言葉に、また一つ鼓動が跳ねる。

いつもはのんびりしていてどこか抜けているような所のある花だけれど、時々妙に鋭い。

今も、さっきもまさに思っていた事を言い当てられた。

『亮の時と逆』、その言葉に意味がわかる人間はこの世の中に二人しかいない。

「すっかり大きくなっちゃったんだなあ。」

「何、その感慨深げな感想は。」

「え?だって昔は私が充分背負えたんですよ?それがこんな風におんぶされる事になるなんて。」

「花、おばあちゃんみたいだよ。」

「ええ!?」

そんなことないです!と抗議してくる花に孔明は声を上げて笑った。

そしてこっそりと、さっきの花の言葉に心の中で答えた。

(うん・・・・嬉しいよ。君を背負えるのが嬉しい。)

初めて花に背負われた昔、花の背中は小さいくせにやけに頼りになるように思えた。

それは自分が子どもだったというのもあるのだろうが、花が見ず知らずの少年を懸命に守ろうとしてくれていたからだと今ではわかる。

だからこそ、亮は ―― 孔明は花に惹かれた。

その小さな手で反乱軍を先導していく力に、意志に、何かを成そうとするその心に。

でもあの頃の孔明は本当に子どもで、どんなに花を護ろうとしても限界があった。

早く大きくなりたい、身体も、心も。

花が消えてしまった後もそう願い続けて早十年。

今 ―― 孔明は花を背負っている。

「そう言えば昔から君はドジだったよね。あ、違うか。今の君がドジなのか。」

「は?」

「だってよく行軍の途中で道で転んだりしてたじゃない。」

「!あ、あれはっ!」

「それでもって晏而に助けられたりしてた。あの頃はそれが悔しかったな〜。」

「・・・・悔しかったんですか?」

「うん。当たり前じゃない。晏而は大人であの頃のボクは子どもだったんだから。どうやったって晏而みたいに君を助けられない。それが悔しかった。」

「師匠・・・・」

驚いたような声がして、孔明は苦笑した。

自分でもこんな風に心の中を覗かせるような事を言うのは珍しいとは思う。

それは花の顔が見えないせいか、それとも背中に感じる花の温かさに思った以上に舞い上がっているせいか。

(でも・・・・せっかくだから釘を刺しておこうかな。)

中途半端に子どもではなく、色々な事が分かってしまっていたから言えなかったあの時の我が儘を、今なら口に出来るから。

「あのね、花。」

「は、はい。」

少し改めた口調に、背中の花が緊張したのがわかる。

そしてそれが分かるほどに触れている事に、また一つ鼓動が跳ねた。

「ボクはもう亮じゃない。孔明だ。」

「?はい。」

「背も伸びたし、玄徳様達ほどではないにしろ、君よりは力もある男になった。」

「はい。」

「だから」

膝の裏に通した腕に小さく振動をかけて花の体を背負い直して。

―― 昔、口に出来なかった言葉を。






「頼るなら、ボクを頼ってよね。」





ややあって、ぽすっと肩に押しつけられた花の髪が首筋をくすぐって、孔明は珍しく素直に幸せそうな笑みを浮かべたのだった。











(最近「おんぶ=亮」です。師匠は口に出した言葉の何倍もの気持ちを抱えてそうです。)